犬のつぶやきに学ぶコト 4.1

5/28にアップした「犬のつぶやきに学ぶコト 4」

の記事に、いつも励ましのコメント等々下さる方からコメントを頂きました。



その方のコメントにはいつも励まされたり、勇気づけられたり、

遠く離れた場所に居ても、今の私にとってはとても身近で、頼れる存在になっ
ていました。


改めて、自分の記事を読んで、


「本当に言いたかったことを言えてなかった」


と思い、少し書き添えたいと思いました。




あの記事だと、確かに


「もしものことを前提に飼っている」


ように読めます。



そんなつもりはなかったのですが、私の不徳とするところです。



私が言いたかったのは、飼い主となった以上、


「犬と一緒に暮らすこと」

「社会に合わせて生きること」


のどっちも必要で、大切で、


「今、社会でも問題になっている悲しい事態を、


どうにか『具体的で、より現実的な方法』で、解決できないか」


ということでした。




けんちゃんを迎える前は、


「多くの犬や猫が悲しい最期を遂げている」


ということは、ニュースの中の出来事でした。


可哀想だし、許せないとも思っていました。




実際にけんちゃんを迎えてからは、


「自分はそういうことは絶対しない!!」


と思っていました。




そんな時に、犬版ツイッターであの「つぶやき」を読みました。


そして、飼い主になったからこそ、


「いくら努力しても残念ながら愛犬や愛猫を手放すことになり、


悲しい最期を迎えさせてしまう人」


も居るのではないかと初めて気付きました。



こういう行為は「飼い主として失格」かもしれません。



でも、


「そんなことをしなくてはならないまでには


『心の葛藤や悲しみ・悔しさ』があった」


のではないかと、飼い主になったからこそ、初めて気付きました。



そんな状況となってしまった飼い主さんだって、


それまでは「みんなと同じ『普通の飼い主』」だったと思うのです。


(残念ながら、ファッション感覚で犬や猫を飼い、そういうことをする人も居る様ですが。)




私にとって、愛犬・けんは


「家族の一員だし、もう『子供』と言ってもいい存在」


になっています。




だからこそ、


「私も、ダンナも、けんちゃんも、一緒に幸せに暮らせるように、


具体的かつ現実的な方法を考えるべき」


だと思いました。




そのためには


「考えてはいけない『もしものこと』ことも敢えて考えて、


回避できるように備えたい」


「けんちゃんの犬生と私達の人生の擦り合わせも考えてみよう」


と思ったのです。




もし、私達の生活が成り行かなくなったら、


この「幸せ」は壊れてしまいます。




そんなことが起こらないように考え、


「この幸せを守る」


のも、


「飼い主」としての「大切な役割」なのではないかと思います。




飼い主の一人一人が、


「幸せを守る」


ことを少し深く考えてくれたなら、


「悲しい最期を迎える犬や猫」が減るかもしれない。



私だけではこんな「小さなコト」しか考えられないけれど、皆で考えれば、


「悲しい事態を、『具体的で、より現実的な方法』で、解決できる」


かもしれない。






そんなことを思って、あの記事を書きました。




初心者飼い主、色々迷いながら考えて、


自分なりの「飼い主の役割」を見出そうと必死です。



これからも色々迷うと思うし、


考えることも沢山あると思います。



その度に、「中途半端な記事」を書いてしまうこともあるかもしれません。


でも、それは、私にとっては「顧みる」記録であり、


反省材料や再考のきっかけなのです。



いっぱいいっぱい迷って考えて、


「よりいい人生と犬生を送れるよう」


頑張りたいと思います。