今、思い返すと・・・

kenchan0904292010-03-23

3/15にアップした「頑張れ!!ayanaちゃん!!!」

の記事を書いていて、

今までスキーを通して出会った素敵な人達のことを思い返していました。

一般の人、その道の人ごちゃ混ぜですが・・・。

(「頑張れ!!ayanaちゃん!!!」はコチラ→http://d.hatena.ne.jp/kenchan090429/20100315/1268647766



そのことを少し(で済むかな?)書きたいと思います。


なので、この記事も「超マニア」です。



一番思い出されるのは「モヒカン小林さん」でしょうか。


某大手スキーショップの試乗会に行った時に、

ゲストでいらしてて、

試乗会参加者なら誰でもOKなレッスンに参加してお会いしました。

確かに「モヒカン」でした。


伊東秀人さんのブログによると、2年前に「モヒカンの断髪式」をして、

現在は「全日本フリースタイルチームモーグルのジュニアのコーチ」をされているそうです。



その頃は、まだ「フリースタイル」と言っても、

モーグル」と「エクストリーム」がごちゃ混ぜな時代でした。

もしかしたら、スキークロスやパークもごちゃ混ぜだったかもしれませんね。


私の中では「モヒカン小林さん」はモーグル選手というより、

「エクストリーマー」でした。

「モヒカン小林さん」が崖から飛び降りているポスターを見て、

パフパフの新雪を滑る姿を見て、

憧れていました。


「いつか、こんな風に滑ってみたい・・・」

全く、身の程知らずです。



そんな「憧れのモヒカン小林さん」のレッスン。

その時のレッスン内容は、今になって思い返すと、

基本的には、当時は目新しかったスキーのカーブの切り替えを使って滑る

「今でいう『カービング』の原点」

の滑り方でした。

もう、何年前だろう・・・。

サロモンが比較的サイドカーブがあるスキー板を世の中に送り出し始めた頃ですからね〜。

当時、バリバリ基礎だった私は

「逆くの字」

(斜面に対して体正対、板横みたいな)

と全然違って、

「スルスルと滑れる自由な滑り」

「何これ面白い!!」

と思いました。


この技術は今でも「上村愛子ちゃん」のカービングなんかにも継承されていて、

彼女はスキーのサイドカーブを切り替えることによって、

コブに対して体と板を縦落ししていると思います。


当時の私は、コブとまでは行かない不整地とか木の中とか滑るのが大好きでしたので、

(恥ずかしながら、こういうのがエクストリームの初歩だと思ってました)

小林さんとリフトで一緒になった時に

「私、エクストリームやってみたいんです。」

(若気の至りとは言えはずかしー)

と言いました。


小林さんは、しばらく間をおいて、

「エクストリームって言うのは、

別に崖とかを滑ることじゃなくて

自分にとってチャレンジならエクストリームなんですよ。」

とおっしゃいました。


当時は、「ガンガン」だったので意味が分かりませんでした。


今もお付き合いしている病気になって、

「大好きなスキー」

を取り上げられたって思いました。


ゲレンデに出ても、スキーしても思うように全然体が動いてくれません。

コブ1個が超えられなくて座っちゃう。

「こんなハズじゃ」って何度も思いました。

少し体が良くなって来て前ほどは滑れないものの、

今までやってきた「ひたすら滑るガツガツスキー」とは違う

「体力に合わせて1本1本を大事に滑る」っていうスキーを初めて知りました。

私の場合、かつて色々やって体力とかになまじ自信がある分、

最初は目一杯滑れない自分に苛立ちました。


そんな時、フッと、小林さんの言葉を思い出しました。


「エクストリームって自分にとってのチャレンジなんだ。」



「エクストリーム・extreme」の意味を辞書で調べてみました。


形容詞としての意味は、

「極端な、極度の、

最高の、

過激な、強烈な、

〔意見・行為・批判などが〕

非常に厳しい、思い切った、猛烈な、行き過ぎの、

〔心理状態などが〕

異常な」

と書かれていました。



小林さんが言われた「エクストリーム」って、


太字で示した意味なんじゃないか・・・。


「エクストリーム」って、

初心者にとってはボーゲンで転ばずに滑れたことかもしれないし、

中高年にとっては長い距離を休憩なしで滑れたことかもしれないし、

私みたいな病み上がりがちょっとがんばった斜面を滑ることかもしれないし、

勿論コブや崖を滑る本物でもあるんじゃないかって思いました。


思い切って気張らずゲレンデに立ってみたら、

ゆっくりしか滑れないけど、

あの独特な空気と音や感触、やっぱスキーって楽しー♪って。


「スキーを続けよう」と思えました。

モヒカン小林さん、恩人です。




次に思い出されるのは、

苗場の「藤島スキースクール」の仲谷晴子先生でしょうか。


私が、検定を受けようと思い始めたのは、

若いころからスキーをしている人の中でも相当遅い、

もうすぐ30っていう頃。


それまで、レッスンを受けたことも無く、

スキークラブなんてものの存在も知らず、

検定はスクールで受けるものだと思っていました。


何故、苗場なのか?

勿論、苗場というゲレンデが好きだったこともありますが、

当時、私は自分で車を運転できないペーパードライバーでした。


そこで、

一人でも夜行バスで行けて、

一人でも泊まれる宿があって(当時「ワールドカップロッジ」はおひとり様でも格安だったのです)

毎週のように検定を行っているゲレンデ。

それが苗場でした。


随分長い間、お世話になりました。

色々な先生に教わりましたが、

「仲谷先生」のレッスンが一番多かったように思います。


特に1級受検生を教える先生は男性ばかりでしたが、

仲谷先生は唯一女性の先生でした。


それは、彼女の滑りが

「男性に負けないアグレッシブな滑り」

だったからだと思います。

あの滑りに憧れました。


本当に何も分かってなかった私を根気良く指導して下さいました。


今、私の滑りが、他の人に

「男性的なアグレッシブな滑り」

と称されるのは仲谷先生からの影響が大だと思います。

だって、知識が皆無の私の中での「かっこいい滑り」は「仲谷先生の滑り」でしたから。

まあ、刷り込みってヤツと言えば・・・そうかな?


彼女は、私に体のトレーニングをすること、

特に足回りを鍛えるようにもアドバイスしてくれました。

当時、今では考えられないほど「痩せていた」私。

しかも、筋肉がありませんでした。

私はトレーニングを始めました。

すると、やはり滑りに反映されてきて、上達の速度が上がって来ました。


1級受検、主任検定員は「仲谷先生」でした。

緊張しました。

でも、合格。

1級を取ったことも嬉しかったけど、

先生に認めて貰える滑りが出来たことは、

本当に嬉しかった。


仲谷先生、スキーの奥行きを教えてくれた恩人です。




検定と言えば、今やスーパースターの「柏木義之選手」のお父さんのスクール

「苗場スキーアカデミー」

でも検定を受けたことがあります。


お父さんは、スキーを志している人の間では有名な

「Macco Kashiwagi」さん。


事前講習で登場しました。

他の受検生はみんなきんちょ〜。

知識が無い私は

「このオジさんは誰??」

事前講習が始まりました。

Maccoさん、声がデカい。


滑ってくる生徒を見ながら、

「そこだ、そこで踏ん張れ!!」

と指示してくれます。

しかも、その人の滑りを「否定」しない。


滑り終わった後で指摘されるより、ずーっと分かり易かったです。


その甲斐あってか、あまり緊張せずに「検定本番」。

不合格ではありましたが、今までで一番良い点数。


Maccoさん、検定を楽しくしてくれた恩人です。



こうやって思い返して行くとキリがありませんね。




オガサカのキャンプでお世話になった

「太田真由美先生」


このキャンプは、実はな〜んにも予備知識無くJに誘われるまま、参加。

Jとは、マジスキーでしょちゅう登場のJです。


参加したウチ等のメンバーの中の一人、Y中さんが「準指導員受験生」だったので、

メンバー4人で「準指導員受験生グループレッスン」に参加しました。

後のメンバーはJ(当時はまだ準指を考えていなかったものの、知識&センスはバッチリ)、

Hさん(準指受験経験あり)と、

私(基礎知識全く無し)。


その「準指導員受験生グループレッスン」の担当が

太田真由美先生でした。


恐るべきことに、当時の私、太田先生が凄い人だということすら知りませんでした。


第一印象「かわいいなぁ〜」

何てふざけた生徒だったのでしょう。


レッスンは、全員で8人位だったでしょうか。


その年の「準指導員」のテーマは確か

「先ず内軸を作って、外側の板が回って来ることを確認し、

内軸を倒すだけのターンを習得し、

その後であくまで内軸を作ったままで外足荷重でターンを作る」

ことだったと思います。


しか〜し、予備知識が全く無い私。


他の受験生からかなり浮いてます。

それでも、太田先生の分かりやすい丁寧な指導で、

何となくやるべきことが見えてきました。


他の受験生に悪いので、

先生と一緒にリフトに乗らないように心がけていましたが、

先生の方が

「出来ない生徒・私」

を気遣って、待ってて一緒に乗ってくれる始末。


そこは2人だけなので、つたない知識で質問。

どうやら、私が掴んだものは合っていたようです。

そこからは、自信もついて、何だか上手くなってとても楽しいレッスンでした。


太田先生、道を極めている人は違うんですね〜。

とにかく「優しい」。

人間的魅力に溢れた先生です。


Jにも

「○○さん、最初はどうなるかと思ったけど、

最後の方は受験生より上手くなっちゃったね」

とお誉めの言葉をいただき、自信も付きました。


普通、「基礎練」ばっかだとつまらないレッスンになりがちなのに、

段階的に理論と感覚で楽しく理解させて下さった

太田真由美先生、恩人です。




続いての登場は、元デモンストレーター

山崎元義先生」

最初は、「オガサカ所属」で、スキークラブの特別レッスンでレッスンを受けました。

その後、独立されてご自分でレーシングスクールを開催されています。


年に1回のスキークラブの初滑り特別レッスンで何回か教えて頂きました。

とにかく「明るい!!」

レッスン中、勿論、真面目にレッスンしていますが、

皆の笑顔を引き出すレッスンをされます。


私の場合は、理屈で説明するより、後ろを滑らせた方が理解が早いと思われたらしく、

何度も後ろに付かせて貰いました。

おいしいレッスンです。


私は単純ですから、

後ろを滑りながら

「分かった〜!!」

と叫んでいます。


「分かったでしょ?分かったでしょ?」

と、先生も笑顔。


それは、先生と私にしか分からない感覚。


私みたいなタイプは先生によっては嫌われますが、

山崎先生は、私の個性や滑りを否定することなく、引き出しを開けてくれます。


山崎先生は、私がみんなと違う滑りでも個性でも、


「それでいいんだよ」と認めてくれた恩人です。



そして、レース関係の先生と言えば、

「近藤裕子先生」

可愛いです。

近藤先生も、スキークラブのポールレッスンで、特別講師として来て下さいました。

こんなに可愛いのに、

「笑って人を斬るタイプ」

男性に対してはですが。

女性には、すごーく優しいです。


そのギャップが面白い先生です。


近藤先生も「癒し系レッスン」。

真面目だけど笑い声が絶えません。


近藤先生は女性にも手が届きそうな滑り方を重視したレッスンをしてくれます。


近藤先生は、「女性の限界を取り払ってくれた」恩人です。




続いての登場は、デモンストレーター

「豊野智広先生」


豊野先生のレッスンは、

豊野先生が「藤島スキースクール」にいらした頃に参加しました。

大胆にも「テククラトレーニング」に参加しました。

当たり前ですが、参加者のレベルは高く、

私は「完全なる落ちこぼれ」でした。


でも、レッスンを受けていたメンバーにも恵まれ、

何よりも先生の個性に魅かれて、

滑りまくり、多くのことを学びました。


夜のミーティングでのアツい先生のアツい解説は忘れられません。


豊野先生は、どんなに下手でも、諦めない気持ちを持たせてくれた恩人です。



そして、その道の人の最後を飾るのは、元デモの

「山崎操先生」

去年、テクの事前講習だけ受けた時に、初めてお会いしました。


テク受検生の中で「オバサン」は、私だけ。

目立っていたんでしょうね。

何かと気をかけて下さって、何気に声を掛けて下さいました。


そして

「操マジック」

整地小回りの時だったと思います。

「もうちょっと落ち着いてゆっくり滑って下さい。」

と一言だけ言われました。


次に滑った時、見て貰う先生が違ったにも係わらず、

その先生からのコメントの後、

わざわざ呼びとめて

「今のどうでした?」

「はい。何だかラクに滑れました。」

ラクって言うのは、考える余裕が出来るので、作戦が立てられるようになりますよ。」

と教えて下さいました。


まさに

「操マジック」

です。


たった、一言で滑りを変える先生。

さすがです。


先日のYさんのテク検定の時も検定員としていらっしゃいました。

結果発表の後、Yさんを無理矢理押し出して「操先生」のコメントを貰いました。

そこでも、「操マジック」。

本当に覚えやすい言葉で簡潔に説明して下さいます。

Yさんは、午後、その言葉を思い出しながら滑っていたようで、

検定の時より「良い滑り」へ移行していっていたような気がします。


一言で滑りを変える山崎操先生、恩人です。


メイクも現役時代を彷彿させるメイク。

なんか、女性としてもカッコいいです。

滑りも少しだけ見ましたが、やっぱりカッコ良かったです。



一般の人の恩人は数えきれませんので、

最近、特にお世話になっている恩人。


それは、やはり、JとYさんでしょう。


Jとは私がスキークラブに入った頃からの長い付き合いです。

入った頃は、整地の滑りのビデオでは、

私とJはどっちがどっちか分からない程、似た滑りをしていました。

でも、いつの間にかJはどんどん上手くなって先生になっていました。

Jは私の感覚的な説明でも理解して教えてくれる

「大師匠」

です。


Yさんは、今シーズン、初めてお会いした方ですが、

元々の経歴もさることながら、

スキーへのストイックさは他の人からは感じられない程のものがあります。

Yさんの影響を受けて、久々にこんなにアツい心を思い出しました。

人間としての情熱を無くしかけていた

私の情熱を呼び戻してくれた恩人です。


さっき、その道の人のラストとして

「山崎操先生」

のことを書きましたが、


大ラスは、やっぱ

「ayanaちゃん」

です!!

「ayanaちゃん」についてはすでにアツく語ってしまったので、

今日はこの辺で。




恩人として書かせて頂いた皆様、
この場を借りて厚く御礼申し上げます!!